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母ケ浦村
【ほおがうらむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。多良(たら)山地北東麓に放射状に延びる丘陵上に位置し,東は有明海に面する。佐賀本藩領。七浦郷に属す。「正保国絵図」には「母ケ浦」と見える。村高は,「元禄国絵図」「天明村々目録」ともに70石余,「天保郷帳」では82石余,「旧高旧領」には見えない。七浦郷の各浦は江戸時代以降海岸の干拓が進み,当村では母ケ浦籠3町5反が造成された(県干拓史)。元禄15年の反別・地米高は一本松籠~三本松籠・籠外・搦方ともに13町4反8畝7歩・59石7斗8升(肥前国藤津郡御蔵入七浦之内母ケ浦西葉浦田方帳/鹿島市史)。寺院は曹洞宗観海山宝聚寺がある。神社は鎮守神社で,境内には承応3年建立の御髪大明神の石祠がある。同社に奉納される面浮立は有名。村内には天正12年銘の逆修碑や慶長6年銘の庚申塔などがある。村内は,東ノ上・上草場・長田・下草場・籠・松尾平・御立場・西ノ上の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに音成村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,音成村のうちに「母ケ浦村」と見え,戸数60・人口308。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218608