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水ケ江城
【みずがえじょう】


佐賀市中ノ館(なかのたて)町にあった城。佐賀平野の平坦地に設けられた平城。室町期には槇村の内にあった。竜造寺季家から12代の康家は村中城に接して水ケ江城を築いて村中城を次男家和に譲り,自分は六男の家兼と水ケ江城(村中城に近接)を築いて移った。このように近接して城を築いたのは大内氏・大友氏の攻撃に備えるためであろう。古図によれば,西館の2館と中館・東館・本館の5館に分かれ,濠で囲まれていた。「水ケ江」は「水が家」の意味といわれる。なお家兼は戦国部将として活躍し,分家が本家(村中城)をしのいだ。家兼は少弐氏を追って肥前国に進入した大内氏を田手畔(三田川(みたがわ)町田手)で破り,さらに天文3年大内軍勢の水ケ江城の攻撃にも耐えた。しかし,天文13年少弐冬尚の命で有馬氏攻撃のために竜王崎(有明町)から船出して島原半島に出陣したが多くの死者を出した。その後,少弐冬尚の部将馬場氏の謀略にかかって一族の多くが戦死し城を奪われたが,家兼は鍋島清久(田手畔で戦功をあげた)父子に迎えられて,水ケ江城を取り戻し,千葉城の馬場氏を攻撃して戦死させた。一族の大半を失った家兼は曽孫円月(隆信)を還俗させ,村中城の竜造寺胤栄とともに少弐氏の勢力を東肥前から追放した。天文17年胤栄が死去したあとは隆信が村中城を相続して竜造寺氏を統一した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218760