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美野村
【みのむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。美濃とも書く。塩田(しおた)川中流の右岸に位置し,背後に篠岳を控える。平地は蓮池(はすのいけ)藩領。山地は本藩領塩田郷に属す。「慶長国絵図」には「上吉田ノ内」として村名が見える。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」では572石余,「天保郷帳」では668石余。「旧高旧領」では「美野分」として66石余とある。「宝暦郷村帳」では小村に平山村・熊野村があるが,「天明郷村帳」では熊野村とともに馬場下村の小村として見える。北部を塩田川と並行して長崎街道が通り,集落は街村をなす。塩田宿へ1里の距離にあり,また塩田川の川止めもあったため,間宿としての役割を果たし,旅宿や穀物・塩鰯などの諸商売で生計を立てる者もいた。塩田川には美野の渡しがあり,「広十二間・深凡二,三尺,小石川陸渡,但し山川故俄水出,半日程渡不成事有」(御国中所々道法帳)といわれたように難所であった。用水は塩田川の井堰から疎水により取水,東部は塩田川支流流海川と立山池から取水した。浄土真宗本願寺派篠渓山専立寺は慶長16年の開山で,藤津郡の惣道場であったが,元和6年鹿島に移転。浄土宗登栄山報福寺は天和3年の開基で,豪族永田氏の菩提寺という。「明治11年戸口帳」によれば,五町田村のうちに「美野村」と見え,戸数232・人口1,049。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218839