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牟田辺村
【むたべむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。多久(たく)盆地の東南部,鬼ノ鼻山東北麓から牛津(うしづ)川までの間に位置する。佐賀本藩領。下多久郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに619石余,「天保郷帳」では744石余,「旧高旧領」には見えない。「玄梁院様配分帳」では多久伊豆が地米高361石余を知行する。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ではともに下多久村の小村として見える。享保6年の田57町余・畑3町余・屋敷6町余(多久の歴史)。「丹邱邑誌」によれば,文政6年の戸口は65戸・258人,僧2。牟田辺太神宮は内外宮を合祀し,祭礼は11月25日。境内に寛永4年刻銘の県下最古の石造釣灯籠が現存。富岡権現(飛岡権現)は彦山権現を奉祀し,祭礼はは11月9日。ほかに天神4祠がある。寺院には天正12年創建の臨済宗永喜山長生寺がある。灌漑設備として,椀瀬堰・牟田辺溝があり,天保13年には東部,牛津川支流に牟田辺水車を設ける。土産として椀瀬堰の鯉。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では当村はともに下多久の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,下多久村のうちに「牟田辺村」と見え,戸数88・人口367。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218882