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両岩村
【もろいわむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。諸岩とも書く。塩田(しおた)川の支流吉田川右岸に位置する。地名の由来は,平地に陽竜・陰竜と称する2個の大岩がそびえることにちなむと伝えられる。鹿島藩領と蓮池(はすのいけ)藩領。鹿島藩領分は能古見(のこみ)郷,蓮池藩領分は吉田郷に属す。「旧高旧領」では1村として見え,村高は214石余。鹿島領分の両岩村は「宝暦郷村帳」では浅浦村の小村として見えるが,「天明郷村帳」では1村として見える。蓮池藩領分の両岩村は「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに東吉田村の小村として見える。天保3年の「鹿島私領村々畝数石高帳」によれば,田畑屋敷茶畔41町8反余,地米高205石余。天保8年蓮池藩との境界問題について鹿島藩に差し出した「両岩村百姓中連判帳」には庄屋六兵衛以下51名の署名捺印がある。嘉永5年の吉田郷図によれば,吉田川東岸,上吉田村の対岸に位置し,西の平地は田地で,南の川より引水した水路が走り,東は山地となり山裾に集落,その周囲に畑地がある。集落は3つに分かれる。南部に20軒余,その南に地蔵,北に観音がある。中部には30軒余,その中央に安徳寺がある。北部には6軒。南部と中部の集落の間に両岩権現がある。氏神の両岩神社は創祀年代は不明だが,源頼朝が奉幣使を派遣したとも,北条時頼が病気平癒を祈願したとも伝え,近世初期に田中安心が再建した(両岩神社由緒)。祭礼は7月26日。「両岩の浮立」は,神事芸能としての所作をよく伝え,氏神の両岩神社の祭礼に奉納される。浄土真宗本願寺派広岳山安徳寺は,寛永年中田中安心が鹿島初代藩主忠茂の菩提を弔うために建立した。なお上吉田の曹洞宗永寿寺の不動明王は当村の真言宗永洗寺(廃寺)にあったものという。「明治7年取調帳」では吉田村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,吉田村のうちに「両岩村」と見え,戸数78・人口262。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218933