100辞書・辞典一括検索

JLogos

9

八百屋町
【やおやまち】


旧国名:肥前

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は唐津(からつ)城下の1町。町田川左岸,城下町の中央部に位置し,東は米屋町,西は新町と接する。唐津築城時の総町十二か町の1町で内町のうち。町人地。江戸期は大工・左官が多く住む職人町。文化年間頃の町筋は南北1町20間,古来本軒44,当時人数139(男74・女65),引合五人組46人,うち町年寄2・組頭2・古来馬持2・当時馬持2(松浦拾風土記)。苗字御免の鍛冶師川副光寿,松葉本行で有名な刀鍛冶高田河内は当町の住人。唐津大明神はもと当町中央四ツ角に鎮座していたと伝える。寛政11年当町ほか9町は,辻番所2か所と毎年10月から3月までの自身番の設置は負担が大きいので,辻番所1か所は夜番とし辻番所で兼ねたいと藩へ願い出ている。当時は町火消し石崎支配組に所属(諸事掟/唐津市史)。唐津藩領最後の町年寄は筒井清左衛門(旧藩制ヨリ伊万里県マテノ諸控/県史)。明治元年の軒数54・人数128(唐津市史)。同5年旧藩主土方守雄が唐津において初めての郵便取扱所を自宅で開設した。同20年京町に移転。「明治11年戸口帳」によれば,唐津町のうちに「八百町」と見え,戸数45・人口148。明治22年唐津町,昭和7年からは唐津市に所属。明治22年から昭和22年までは大字唐津のうち。明治30年の人口273(唐津市史)。大正4年の戸数55・人口240。世帯数・人口は,昭和5年42・187,同35年66・245,同41年63・215。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218945