屋形石
【やかたいし】

旧国名:肥前
東松浦半島上場台地の北東端に位置する。地内を渡子(わたりご)川が流れるが,小河川。玄界灘に面する海岸線は,丘陵がそのまま海に落ちこみ海食崖となっている。地名の由来については「松浦拾風土記」に「仁平三癸酉年,鎮西八郎為朝黒髪山の悪蛇退治の時,蟇目の法を行はれし折から,其かぶら矢,石に篦深く立ちしとかや,此時退治の吉左右とて,酒宴を設け其矢跡末世まで残りし故に,矢形石村と名付けたり」とあり,源為朝の矢が深くささった石にちなみ,はじめは矢形石といったとある。同書は,異説として源為朝の家臣鎌田平治が館を出る時に当地の石を割り取ったところ,この石は一夜にしてもとの石にもどったという伝説も伝え,家(館)に似た大石が当村にあるとも記す。北端の小半島にある七つ釜は,玄武岩の柱状結晶が玄界灘の荒波に浸食されて7つの横穴をつくったもので,深い穴は100mにも達する。その景観は素晴しく,大正14年国天然記念物に指定。近くに神功皇后朝鮮出兵にちなむ地名伝承が多く,瓦器崎(かわらけざき)(土器崎)は「首途の酒宴を催し給ひ,瓦器を流されし所」といわれる(松浦古事記)。
【屋形石村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【屋形石(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7218947 |





