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行成村
【ゆきなりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。末光村とともに深木村と呼ばれたこともある(鹿島志・源昌寺由緒書)。鹿島川支流の中川扇状地の扇端に位置する。鹿島藩領。能古見(のこみ)郷に属す。村名の初見は貞享4年改元文3年写郷村帳で,「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に今手川村がある。村内からは弥生時代の甕棺や石斧などが出土し,鬼塚と呼ばれる古墳がある。鬼塚の北側に橘園と呼ばれる古跡があり,平安期の橘良利(碁聖大徳)の旧居があった地と伝えられる(鹿島志)。新義真言宗の別格本山密厳山誕生院は,開祖覚鑁(かくばん)上人(興教大師)出生の地である。かつて宇田の森と呼ばれた所には琴路神社があり,西三河内にある三岳神社の下宮として能美一庄の鎮守であった。天保3年鹿島私領村々畝数石高帳によれば,反別24町余,村高182石。近世末期には反別25町余,村高254石余,うち物成201石余・口米3石余・夫米10石余,ほかに酒帘冥加銀114匁(鹿島藩記録)。明治初年の戸数57(うち農家37),人口239。享保の飢饉では享保18年3月の1か月間に餓死者男6・女1を出している。寺院は臨済宗金剛山耕月寺がある。村は,鍛冶屋瀬・番田・天神・鬼塚・誕生院・柿ノ木・福寿院・園構・八杖・新道・重ノ木・的場・地蔵の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに納富分(のうどみぶん)村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,納富分村のうちに「行成村」と見え,戸数57・人口241。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219055