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湯野田村
【ゆのたむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。湯之田とも書く。嬉野(うれしの)盆地の中央,塩田(しおた)川の左岸に位置する。対岸は岩屋川内村,南は下不動山村,北東は内野本村。地名は田より温泉が自噴していたことに由来するという。佐賀本藩領と蓮池(はすのいけ)藩領。嬉野郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」とも小村に尾上村がある。村高は「正保国絵図」「元禄国絵図」「天明村々目録」とも313石余,「天保郷帳」では360石余。「旧高旧領」には見えない。蓮池藩の地米高は「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ともに205石余。天明元年から4年の本支藩の藩境紛争の結果,長崎街道が山裾を通る地域は街道が藩境となり,それ以外は石の藩境標識(番号石)を333個設置。その際の家数は本藩領9,蓮池藩領69(泰国院様御年譜地取)。村絵図によれば,村内北部を流れる塩田川支流の下流域に集落があり,周囲は畑地となっている。この集落の南隅に郷蔵が置かれている。ほかにも同支流の上流域や,村内南部を流れる支流の下流域にも集落が見える。用水は塩田川などから引き,用水路は長崎街道と並行して本村(ほんむら)・下宿村に通じていた。寺院に禅宗大寧山瑞光寺の末寺東隣庵,南珠庵・長寿庵(いずれも廃寺)があった。社には塩田川域六丹生神社の1つ湯野田丹生神社があり,烏帽子岳には権現大明神が祀られている。丹生神社が鎮座する小集落が小村の尾上村にあたる。また宝暦の頃,江戸送金途中の長崎奉行所の公金500両が湯宿の山口喜兵衛宅で紛失。その事件で勧請されたという伍靖神社が,嬉野氏の居城だった湯野田城址にある。幕末には鳴瀬代官諸石氏が私塾を開いている。「明治7年取調帳」では下宿村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,下宿村のうちに「湯野田村」と見え,戸数128・人口577。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219068