伊王島
【いおうじま】

旧国名:肥前
祝島・硫黄島とも書き(長崎図志),ポルトガル人は,当島を「カバロス」「カバリオス」(群馬の島)と呼ぶ。長崎半島北部の西方海上に位置する伊王島の全域。南に沖之島がある。地名の由来は,伝承によれば神功皇后が新羅遠征の途次,船津に寄港し,美しい島の風光を賞して祝詞を賜った故事にちなんで祝島と呼ぶようになったという。宝徳2年筑前国の漁師が漂着したのが集落のおこりと伝える。俊寛僧都のものと伝えられる墓,康頼舞台石と呼ばれる千畳敷がある。島の周辺は好漁場で,県内外から愛好者が磯釣りや沖釣りに来遊する。
【伊王島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【伊王島村(近代)】 明治22年~昭和37年の西彼杵郡の自治体名。
【伊王島町(近代)】 昭和37年~現在の西彼杵郡の自治体名。
【伊王島(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7219350 |





