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伊ノ浦瀬戸台場
【いのうらせとだいば】


江戸期の台場名。西彼杵(にしそのぎ)郡西彼(せいひ)町に所在。伊ノ浦郷に2か所,小迎郷に1か所あり,前者は西海橋から約1km北上した狭流中にある弁天島の西方対岸にあり,後者は西海橋西詰の下にある。文久3年大村純熈によって構築された台場。当時世論は勤王と佐幕に分かれて騒然としており,大村藩も例外ではなかった。藩主純熈に寄る勤王派と,藩主の甥武純に寄る佐幕派に分かれ,対立していた。文久3年には長州藩が下関で外国船を砲撃し,攘夷熱が高まっていた。大村藩は長崎港や西彼杵半島西岸などに番所や台場を設け,外国船に備えていたが,攘夷の実をあげるため,大村湾への出入口である針尾瀬戸を抑える必要があったために構築されたのであろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219501