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魚見岳台場
【うおみだけだいば】


江戸期の台場名。長崎市戸町3丁目に所在。文化7年に設置された台場。大久保山の中腹にほぼ完全な形でその跡が残されており,国史跡に指定されている。長崎の台場は,承応2年に築造された古台場と呼ばれた太田尾・女神・神崎(以上港内),白崎・高鉾・長刀岩・蔭尾(以上港外)の7か所と,文化4年打払令によって新設されたすずれ・女神・高鉾・神崎・蔭尾の5台場があった。長崎港の警備は,正保4年のポルトガル船の警備にもあるように,長崎港の入口女神と男神を舟いかだなどで遮断して,港内に異国船を封じ込めるといった方策がとられていた。文化5年イギリス軍艦フェートン号事件後,長崎港の警備についても再検討がなされ,文化7年神崎・高鉾・長刀岩とこの魚見岳の4か所に増台場と呼ばれる台場が新設され,長崎港入口付近の防備が強化されることとなった。当台場は黒田藩によって建設された。台場のうち一の増台場は高42間余,海岸迄1町7反余,面積は表長27間・横幅10間,石火矢は1貫500目砲1挺・1貫目砲2挺・800目砲1挺・700目砲1挺・500目砲2挺・300目砲1挺,二の増台場は高35間余,海岸迄1町5反余,面積は表長38間・横幅13間,石火矢は1貫500目砲1挺・1貫目砲1挺・800目砲1挺・750目砲1挺・500目砲2挺・300目砲2挺,三の増台場は高23間余,海岸迄7反余,面積は表長10間・横幅5間,石火矢は1貫目砲2挺・800目砲1挺・500目砲1挺・300目砲1挺,ほかに石倉(煙硝蔵)1棟,常住小屋2棟,道具小屋1棟があった。現在,三の増台場の下に,長崎海上保安部の女神信号所が設営されているほか,台場の北側にあった通路の一部が長崎市の南部汚水処理所の建設のために削られてはいるが,各増台場の石垣・通路・石倉などもほぼ完全な形で残されており,長崎における台場の貴重な史跡である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219595