100辞書・辞典一括検索

JLogos

12

有喜街道
【うきかいどう】


江戸期の街道名。矢上宿(現諫早(いさはや)市)から島原藩御蔵入領の愛津村(現南高来(みなみたかき)郡愛野町)に至る,佐賀藩有喜村(現諫早市)経由の道筋。島原街道の一部。この街道名は一般的なものでなく,別に諫早まで長崎路の本道を行き,諫早から愛津に至る回り道があり,これとの区別で使われたかと考えられる。有喜よりほかに宿町らしい所はなかった。なお明治以後,上記区間の県道名となったことがある。また島原城下から長崎に行くにも有喜村境の辺りから上記の諫早道(諫早では島原街道という)がよく使われた。なお近代では諫早市街~有喜間の県道を俗に有喜街道と呼んだ。もともと諫早と有喜村は同じ佐賀藩領でも諫早氏私領と蔵入地との違いがあり,明治以前には両者を結ぶ里路の改善には関心が持たれなかったようである。明治期に至って里道の改善が行われ,大正3年県道として完成をみ,道路法施行の大正9年諫早有喜港線は内務省より県道として認定された。これまでと違って幅員も広いため街道と呼んだ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219600