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大井手橋
【おおいでばし】


中島川と西山川の合流地点に架かる橋。長崎市内の八幡町と大井手町を結び市道が通る。橋長19.5m,幅員4.5m。中島川石橋群(眼鏡橋を除く)では最も長く,径間(アーチのさしわたし)17.1mは,長崎の石橋群中最大であった。拱矢(アーチの高さ)4.3mに対し径間は4倍だから,非常に偏平な難しい太鼓型アーチ石橋。昔は石橋群の通し番号で第3橋と呼んだが,明治15年に固有の名称を付けた。創設者は岡市郎右衛門正敏。私財を投じて元禄11年11月に完成した。2つの川が合流するので流れが強く,敬遠されたため,石橋群では最後の頃に架けられた。ほかの橋より流失回数が多い。最初の石橋は約23年しか保たずに享保6年の洪水で流されたと思われ,その後20年経た元文5年に再建されている。これも55年後の寛政7年の大洪水で流され,9年後の文化元年に再建された。この3度目の石橋には,「文化元年甲子九月吉旦,有官命造之」とあり,石工吉次郎,清兵衛,弥三太の名が刻んであった。その後たびたび襲った洪水で緩んだのか,明治44年に解体して修理復元した。3度目の橋は107年保っていたが,4度目の石橋も昭和57年7月の大洪水で流れ,今度は71年の寿命しかなかった。このように大井手橋は流れても流れても石橋を架けて風情を保ってきたが,昭和61年コンクリート橋となり,石橋の歴史を終えた。現在は鉄骨の仮橋を架ける(長崎名勝図絵・長崎古今集覧・実録大成など)。一方この橋は,長崎民謡ぶらぶら節のモデルになった橋である。橋のすぐ上流で2つの川が合流するため正面に桃渓(ももたに)橋が見え,右手の川には高麗橋が見えるなど風情に富むので,ぶらぶら散策する市民が増えこの歌が生まれたという。これほど市民に親しまれた大井手橋の特徴は,17.1mの大径間に対し,橋の重さを支えるアーチ石の厚さが,わずか50cmしかなかったことである。普通なら69cmは必要なので,19cmも薄いことは壊れる危険性が強かったのだが,水害前まで車が頻繁に通ったのに支障はなかった石橋の強さは不思議である。この橋はアーチを特別薄くしたので,非常にスマートな美しい橋であった(石橋物語)。昭和46年10月21日に中島川石橋群(10橋)の1つとして市文化財に指定されたが,流失後の同61年10月1日指定解除となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219796