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川棚宿
【かわたなじゅく】


江戸期の宿駅名。東彼杵(ひがしそのぎ)郡川棚町に所在。平戸往還付近の宿駅。川棚川河口の三角州に位置し,現在の川棚町は当宿を中心として発達してきた。大村湾を横断して時津より長崎への交通路があり,陸上は波佐見・有田・伊万里への交通路があった。宿場のすぐ近くを平戸往還が通過し,北は平戸城下に,南は彼杵を経て大村城下に達していた。平戸藩の長崎勤番・参勤交代の時この道を通っていた。同藩は長崎勤番後,彼杵より江戸上りする場合もあった。宿場は川棚川の波止場を背にして一列に並び,江戸期は「まち」と称され,大村藩ではここに町別当を置いた。港は渡止場(ととば)と呼ばれ札場があった。宿場の西端に原田役所があり,波佐見皿山の陶器俵計りとして皿山役所があった。宿場には旅籠屋・問屋・呉服屋その他50戸近い白壁塗りの建物が並んだが,明治29年11月13日夜の大火で全焼した。吉田松陰は嘉永3年9月12日,諫早(いさはや)より平戸に行くため当地を通過し,「西遊日記」に「海に沿ひて行くこと二里にして川棚に至る。川棚に塩田あり。川棚川を過ぎ川棚山を越ゆ。山上下二里。大村西の固めなり。山を越えて又小坂ありへの峰といふ」と記している。なお川棚山とは西部にある比較的高い山で,針ノ木峠がある。江戸期に川棚の玄関となり,港の機能を果たしてきた宿も,国鉄大村線の川棚駅が出来たことにより川棚町の玄関は駅前になったこと,川棚川三角州の沖にむかっての前進により,現在川棚の港の機能は沖の百津・平島が果たしていることから往時のにぎわいはない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220321