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観潮橋
【かんちょうばし】


早岐(はいき)瀬戸に架かる橋。佐世保市の早岐町と有福町を結ぶ。国道202号が通る。昭和7年,針尾島の江上村・崎針尾村の両議会は早岐瀬戸への架橋を決議,県へ要望した。これに対し早岐では架橋の場所や形式をめぐって対立が起こった。結局,開閉橋建設期成同盟の主張が通り,県が計画した固定橋を帆船が通れる開閉橋に改めるよう求め,そのための工事費増加分7,000円を早岐商工会が中心になって集めて県に寄付した。当時,最狭部の築堤付近は,針尾側は名島公園,早岐側は民家が並んでいたが,民家2軒が立ち退いた。急流のため難工事であったが,潜水夫も使って,早岐側から幅7m,長さ20m,高さ6mの石垣をつき出して橋台とし,早岐側を支点として,ハンドルをまわすと針尾側が上がるようになる一葉跳開橋が架けられた。早岐側に番小屋も設けられ,近づいた船が声をかけると橋をあげて通した。竣工は昭和11年9月18日(長崎県議会史)。観潮橋と名づけ,「しおみばし」と読ませた。通称は開閉橋で早岐の名物であったが,開閉していたのは数年間であった。昭和28年,針尾瀬戸の西海橋工事の進行に併せて,開閉橋の北側に隣接して現在の橋ができた。橋長36m,幅員7m。ポニートラス式。事業費2億円。これを機に「かんちょうばし」と読み替えた。地元は開閉橋を歩行者用として残すよう要望したが,昭和23年の洪水で橋台が潮流を妨げて被害を大きくしたとの理由で,土台を残して取り払われた。開閉橋の針尾側用地は公園となり,早岐浦の商家の信仰を集めていた恵比須神社が勧請された。橋は水泳する子供の飛び込み場ともなり,急流めがけて投身自殺をする人もでた。毎年5月の茶市頃から10月にかけての夜は,大村湾で産卵したクルマエビが引き潮にのって下るところを,灯火をつけて網ですくいとる漁が今も続いている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220347