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九州横断自動車道
【きゅうしゅうおうだんじどうしゃどう】


国土開発幹線自動車道建設法に基づき,昭和47年6月~同57年11月に計画された長崎―佐賀―鳥栖―日田―大分間の全長245kmの九州横断自動車道のうち,鳥栖市と長崎市の間約110kmを長崎自動車道という。長崎市中里町から諫早(いさはや)市貝津町までの4.9kmおよび諫早市貝津町から大村市池田2丁目までの12.1kmが昭和47年6月20日に着工され,同57年11月17日に現路線名で最初の供用がなされた。当自動車道の1日平均の通行量は,昭和57年11月~同58年3月で3,812台,同58年4月~同59年3月3,162台,同59年4月~同60年3月3,441台となっている。2年間の月別では8月が最多で,次いで3月,逆に最少月は昭和58年9月の2,809台,同59年6月の3,011台となっている。今後,中里町~長崎市内間10kmと大村~嬉野間22kmの工事が残っているが,後者(大村市池田2丁目~佐賀県藤津郡嬉野町下宿間)は,郡川を渡り,武留路山の西側を通過し,東彼杵(ひがしそのぎ)郡東彼杵町内では国道34号とほぼ並行に台地上を走り,長崎・佐賀両県境の飯盛山の東を通過,佐賀県嬉野町に入って不動山,下宿山をトンネルで抜けて嬉野インターチェンジへ至るルートで,昭和53年11月に着手された。昭和60年度の予算として用地および補償費61億円,工費328億円,その他43億円計432億円が計上されている。完成予定年は不明。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220416