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権現岳城
【ごんげんだけじょう】


戦国期の城郭名。山城。城跡は北高来(きたたかき)郡小長井町遠竹本村名字権現平に所在。丘陵地の一端に盛り上がる権現岳(標高102m)にあった。三方は谷に臨み,南西部はいったん下って(この部分を馬場跡と伝える),南平の丘陵地につながる。頂上部面積は10~20a程度,東側が高い東西2段の平坦地をつくり,その北側には空堀に面した2段の踊場がある。空堀は頂上部を囲み,現在も高さ3m,幅3.5mの部分が残る。北西山腹には4段の棚状切岸があり,水の手は西麓の深井戸によったとみられる。山名の由来である権現の小石祠は頂上平地段境の中央にある。地元の伝説では,城主を鶴田遠江守といい,藤津郡津ノ浦城主北島藤右衛門との戦いに敗れて滅亡したという。「北高来郡誌」は700年前と伝えるが,地元では最近400年前と言い直している。しかし天正12年伊佐早西郷氏一門が提出した連署起請文(竜造寺文書)に見える遠岳治部少輔尭運もこの地方の領主であったかと考えられるが,この遠岳氏との関係はよくわからない。城の北麓の谷を隔てて「トンノヤシキ」と称する所があり,その横手には付近の山中にあった小型の宝篋印塔,五輪塔が集められ,その中心に遠江守の墓といわれるものがある。また近くに金胎寺跡と伝える観音堂がある。南平の丘の上には前記より古いとみられる大型の宝篋印塔がある。城の西方の山を「トンノヤマ」という。




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「角川日本地名大辞典」
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