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桟原屋形
【さじきばらのやかた】


江戸期の城郭名。平山城。城跡は下県(しもあがた)郡厳原(いずはら)町桟原に所在。対馬府中(厳原)にあった対馬藩主(宗氏)の屋形。家中では「お屋形」と称したが,公式には府城または府中城と称し,明治2年に府中を厳原と改名してからは厳原城という。またもう1つの府城であった金石屋形(金石城)に対し,桟原屋形または桟原城というのが通りがよい。桟原の地は府中の北部,袖振山から後山に続く丘陵地を掘り切って本川の流れを変え,丘を削平して築城したもので,万治3年3月3日を卜して起工,延宝6年に落成した。この間府中の町並みを整理,道路を整備して,西の浜の船着場より馬場筋と称する大通りを桟原の城門まで直通し,その街路の両側に上士らの屋敷を割りあてるなど,築城と並行して城下町の体裁を整えた。これには来朝する朝鮮信使の行列を盛んにするためだったともいわれるが,屋形の構造も通常の城郭と異なり,5棟の平屋が乙字形に並び,南の山手に裏屋形を配置した公家風とも評されたもので,戦備を主とした城ではなく,平和外交の儀礼の場として構想されたに違いない。現在も残っている唯一の城門はその名を高麗(から)門という。明治19年熊本鎮台所属対馬警備隊が置かれて以来兵営となり,現在も陸上自衛隊対馬分遣隊が置かれている。城の遺構で西側の城壁は割合によく残り,前記高麗門もこの中にあるが,その外は開発されて地形も変わった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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