佐野屋橋
【さのやばし】
下県(しもあがた)郡厳原(いずはら)町を流れる本川に架かる橋。かつての国分町と大手橋町を結ぶ。橋長13m,幅員10m。本川の最下流に架かるため,下橋ともいわれた。寛文7年に架橋,享保7年石橋に架け替えられた(津島紀事)。さらに大正6年,倉成綱作・藤野小十郎・小野久次郎等の出資でアーチ型石橋に架け替えられた。昭和55年改修拡幅し舗装した。佐野屋橋の名称は,文禄・慶長の役に功労のあった泉州佐野の漁師に,対馬62浦の鰯網漁の権利が与えられ,以後,佐野の漁師は漁期に来島し,鰯網を引き干鰯をつくって持ち帰った。寛文7年佐野の人五味氏が府中に問屋を開き,佐野船の出入漁や請浦,干鰯の積出し等の世話をし,鰯網船だけでなく他の漁船も引き下ろして対馬の海域で漁をさせた。五味氏の問屋は佐野屋と呼ばれた。下橋の東川端に納屋があったので,下橋は佐野屋橋と呼ばれるようになった(対馬島誌)。化政期以後対馬各地に村網が誕生した。佐野の鰯網のあとを受けたものやその指導によって組織された島民の鰯網である。その他対馬の沿岸漁業は佐野漁民の開拓に負うところが多い。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7220972 |