白石郷
【しろいしごう】

(近代)年不詳~現在の行政区名。明治22年川棚村,昭和9年からは川棚町のうち。南は大村湾に臨み,北は白岳の丘陵に続く。地名の由来は白岳に流紋岩質の層灰岩が露出していることにちなむか。大正7年の戸数94,世帯数・人口は昭和23年220・1,141,同35年224・1,044。明治31年九州鉄道(現国鉄大村線)早岐(はいき)~大村間が地内を通って開通。第2次大戦中の昭和17年に海岸一帯に川棚海軍工廠の工員住宅と学徒動員宿舎が建てられ,終戦後工員住宅の一区は琴見ケ丘と称している。明治30年代に干潟を水田に開いた字開には大戦中に海軍工廠が工員養成所を設置したが,戦後町営住宅が建ち,昭和36年からは新町と称している。また尾山の台地にも町営住宅が建ち,同46年尾山団地となる。昭和59年の地区別世帯数・人口は,白石353・1,284,琴見ケ丘118・375,新町148・508,尾山118・375。白石郷の鎮守豊姫神社は室町期の創建。昭和39年し尿処理場,同42年町立白石保育所,同45年福祉組合のごみ焼却場を設置。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7221237 |