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芊原橋
【すすきはらばし】


中島川に架かる橋。一覧橋の80m下流にある。長崎市内の諏訪町と魚の町を結び,市道が通る。橋長19.0m,幅員4.3m。径間(アーチのさしわたし)13.8mに対し拱矢(アーチの高さ)は4.1mだから高さに対し3.3倍になり,やや偏平な太鼓型アーチ石橋(石橋物語)。昔は石橋群の通し番号で第7橋と呼んだが,明治15年に固有の名称を付けた。中島川石橋群では14番目に架かるこの橋は延宝9年に完成したが,創設者は不詳。この橋より2年前の古町橋(コンクリート橋に改築)も中国の「魏爾潜」が架けるので,当橋も中国人の寄付によるものか。架設40年後の享保6年に洪水で流れ,翌7年に再建されたとみられる。文献では享保6年と享保7年架設の両説があるが,享保6年の洪水では大井手橋など4橋が流れたので,その年に再建する時間はなかったと思われ,享保7年11月官命架の記録が正しいと考えられる。2度目の橋も24年後の寛政8年の大洪水で流れたが,この時は10橋も流れたので再建に手間取り,芊原橋は最後の文化元年に再建された。この3度目の橋が戦後まで存続し,親柱に「文化元年甲子八月官命造之。石工吉次郎,清兵衛,弥三太」と彫ってあった(長崎名勝図絵・長崎古今集覧・実録大成など)。文化元年から178年続いた石橋も昭和57年7月の洪水で流され,現在は仮橋を架ける。ここは車の交通量が多いので,コンクリート橋を架けるという。芊原橋300年の石橋の歴史が消えるうえ,眼鏡橋から続く石橋群をコンクリート橋が断ち切るので,中島川石橋群の歴史からも石橋再建が望まれる。中島川石橋群10橋の1つとして昭和46年10月21日に市文化財に指定されたが,流失後の同61年10月1日指定解除となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221327