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諏訪町
【すわまち】


旧国名:肥前

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は長崎外町の1町。陸手(おかて)に属した。長崎港に注ぐ中島川下流左岸に位置する。「すわのまち」ともいい,諏方町とも書いた。町名は,長崎の氏神である国幣中社諏訪神社がはじめ当町に勧請されたことに由来する。その跡地は現寺町の長照寺山門付近という。享和2年の長崎絵図によれば,長崎の東部に立地し,町並みは東西に延び,西は今魚町と隣接していた。正保4年の長崎外町ケ所数之帳では箇所数36余(柏原家文書),寛文3年の町の長さ156間・家持44(寛宝日記),同12年の町の長さ170間,実箇所数36余,諸役御免箇所3(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば,坪数2,760坪余,箇所数38,竈数133,戸数157・人数361(男183・女178)。乙名職は,寛永年間が横山助右衛門,明暦年間が柳井長右衛門,寛文年間が吉川儀部右衛門,延宝4年頃が東川長左衛門であったが,貞享元年に西村次郎兵衛が任じられて以来,順之助(宝暦~安永年間),豊助(寛政年間),次郎兵衛(寛政11年~天保14年),次郎吉(弘化~嘉永年間),宜輔(嘉永5年~慶応2年),次郎太夫(慶応3年~明治元年)と,西村家が相続した。明治11年長崎区,同22年長崎市に属す。大正期の「長崎市分割地図」によれば,地内には医院・呉服屋・歯科医院などがあった。昭和3年の戸数122,同10年の戸数115・人口571,同50年の世帯数373,7街区。くんちの傘鉾のたれは,現在現物は失われているが,その下絵は長崎刺繍の代表的なものとして市文化財に指定されている。昭和41年新橋町と紺屋町・磨屋町・西古川町の各一部を編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221345