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多比良城
【たいらじょう】


平安末期(推定)~戦国期の城郭名。轟木城ともいう。平山城。城跡は南高来(みなみたかき)郡国見町轟木名城の元に所在。有明海に臨む標高12mの台地の突端に築かれている。永暦元年日向通良によって築かれたといわれる。通良とその子多比良通秀は平家貞に追討された。鎌倉期,多比良氏は御家人となり,元亨3年11月には,高来西郷の郡司,図師職を勤めていた多比良通世が鎮西探題に対して申状を提出している(大河文書)。このようなことから平安末期以来,多比良氏がこの地にいたとも思われるが,異説があり断定はできない。南北朝期,多比良氏は南朝方として活躍し,室町・戦国期には有馬氏に臣従したが,この頃多比良重純という者がいた。天正12年竜造寺隆信の討死に伴い,竜造寺方の神代貴茂が有馬晴信と和議した場所が多比良城であった。当城は元和元年の一国一城令で廃されたと思われ,現在若干の石垣・空堀を残すのみで,遺構はほとんど失われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221460