時津
【とぎつ】

旧国名:肥前
西彼杵(にしそのぎ)半島の基部に位置し,北は大村湾に面する。大村湾に浮かぶ前島・黒島・鷹島を含む。西側を標高200~300mの火山岩の形成する連峰によって,南側も小高い峰によって囲まれる。地域のほとんどが標高50m以上の山地であり,平地は少ない。江戸期に塩田であった部分が田畑になったり,港の再生のための埋立てなどによって,平地が拡大された。現在も埋立ては進行中で,そのため以前の海岸線の確認ができにくくなってきている。平地に突出している小高い丘は,海中に浮かんでいた島の名残であり,山沿いの旧道から以前の海岸線がかなり想像できる。平地が少ないために7本の小河川は雨期にはしばしば激流となり,大村湾に土砂を運び込む。地名の由来は不明だが,長崎名勝図絵の西辺の部の鏡井の条と神崎大明神社の条に,神功皇后の朝鮮出兵伝説における同皇后の上陸地としての「時津の浦」を記している。考古遺跡として,西時津郷の前開遺跡・碇遺跡,日並郷の釜ノ島遺跡,火籠の畑地,木場崎の高尾,登路福の多尾などから先史時代の黒曜石剥片・石鏃が,時津北小学校内から縄文時代の曽畑式土器が発見され,同所からは弥生時代の磨製の石斧や須玖式土器の破片も出土している。子々川(ししがわ)の前島には直径4m前後の円墳による古墳群の存在が確認されており,銅製の素環頭太刀の一部と鉄製の直刀・刀子,須恵器が発掘されている。また前島の沖のだけく島には横穴式古墳が3基ほど確認されている。城跡としては野田郷に有馬勢がこもったと伝えるはるの城跡,日並郷に城の辻,東端に浜の城(唾飲城)跡があり,いずれも山城である。はるの城前方に時津氏開祖の墓と称される墓石があり,年号などは不明だが,様式は室町期のものである。また地名として西時津郷に長建寺,元村郷に妙願寺,久留里郷に大円寺,野田郷に宝円寺・古聖寺などが残り,寺院があったことをうかがわせるが,その来歴についての記録はない。一説ではキリシタンによって破壊されて廃寺となったともいわれる。
【時津浦(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【時津村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【時津村(近代)】 明治22年~昭和26年の西彼杵郡の自治体名。
【時津町(近代)】 昭和26年~現在の西彼杵郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7221821 |





