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富江陣屋
【とみえじんや】


江戸期の陣屋名。南松浦郡富江町富江郷に所在。江戸初期設置の五島藩(福江藩)支藩の旗本五島氏富江領の陣屋。明暦元年五島藩主盛勝は11歳で家督を継いだが,若年のため叔父盛清が後見役として五島藩の実権を握った。盛勝は,寛文元年7月14日盛清に領地と藩士の5分の1を知行割して旗本富江領3,000石が成立,柳間交代寄合高家の万石大名格として取り扱われた。寛文2年に陣屋を構築,普請方は貞方勝兵衛であった。新陣屋・元屋敷に分かれ,元屋敷は2,804坪,道場と成章館が置かれ,南西に新陣屋(御屋敷)があった。新陣屋は6,834坪で中央に御殿・御蔵元・御用場・長屋・馬屋・石倉が置かれた。陣屋跡は,現在中学校運動場・畑地・宅地になっており,一角には石倉が残っている。石倉は玄武岩造の火薬・穀物倉庫で,6代藩主運竜の時代に造られ,長さ14間,幅4,5間,高さ3間,壁の厚さ4尺,南西と西に2か所の入口があり,反対側に高窓が3か所設けられている。屋根は取り除かれているが石垣は今日でも少しの狂いもない。藩主運竜は寛政・文化・文政・天保年間,農業・水産業を興し,文武を奨励した。石高も増え,幕末には1万600石になった。本藩五島藩主盛徳は,慶応4年異国船防備費用捻出を理由に,富江領を本藩に併合することを幕府に嘆願して許可を得た。富江領民は驚き一揆を起こそうとしたが,説得使井上聞多・渡辺昇が富江藩主・藩士・領民を説得し鎮静化した。明治2年富江領は福江藩領に併合,富江領は8代214年で滅んだ。陣屋は国に帰属し取壊しとなったが,大手門通り,城町,御殿の小字名が残っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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