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長崎街道
【ながさきかいどう】


江戸期の街道名。八脇街道の1つ。小倉(現福岡県北九州市)から長崎に至る全長57里の街道。長崎と大坂―京都―江戸をつなぐ動脈の役割を果たした。長崎に向かう長崎奉行・幕府上使・諸大名行列・オランダ商館長・商人・文人墨客・維新の志士らの往来が多く,日本の政治・経済・外交・医学・文化に貢献した重要な街道であった。北から小倉―黒崎―木屋瀬―飯塚―内野―山家―原田―田代―轟木―中原―神崎―境原―佐賀―牛津―小田―鳴瀬―塩田―嬉野(うれしの)―彼杵(そのぎ)―松原―大村―諫早(いさはや)―矢上―日見―長崎の行程であった。享保2年から小田~嬉野間は塩田川の増水の関係で小田―北方―武雄―嬉野に変更された。そのほか彼杵より大村湾を縦断して時津に上陸し,時津街道を経て長崎に行く行程があった。この行程の方が長崎に近く利用度が高く,筑前黒田氏の長崎勤番や二十六聖人の長崎行きはこの行程をとった。長崎街道の行程は古代に始まり,嬉野―彼杵―大村―諫早(船越)―山田―神代を経て肥後国の長崎駅に出る行程があった。なお長崎の出発点は出島近くの西役所であった。長崎街道に沿う国道34号や鉄道が海岸線沿いの平地を迂回するのに対して,街道は幾分山寄りの近道を通行しており,古賀~諫早間の井樋ノ尾峠,諫早~大村間の烽ノ尾峠,県外では黒崎~原田間の冷水峠が好例である。県内の峠は北より俵坂峠・烽ノ尾峠・井樋ノ尾峠・日見峠で,俵坂峠・日見峠では越すのに羊腸路が目立つ。俵坂では街道は国道を取り巻くようにして蛇行している。井樋ノ尾峠・烽ノ尾峠には駕籠立場の地名があり,ここで諸大名は休憩をとった。頼山陽は大村湾を琵琶湖にたとえて詩をもって讃美し,吉田松陰は平戸遊学の折,松原~彼杵間の舟旅をしている。シーボルトは江戸参府にあたって,やはり大村湾の風光を讃美し,紀行文に「海岸に沿ひて甚だ心地よき道を大村に向へり」と書いている(シーボルト:日本)。県内の宿場には北から彼杵・松原・大村・栄昌・矢上・日見・時津があり,大村~諫早間には小松の間宿があった。宿場といっても彼杵・時津は大村湾の渡頭集落,大村は城下町の機能をもっており,大村は本陣をはじめとして脇本陣・上使屋・問屋場・高札場・構口などを完備していた。特に本陣は捕鯨家深沢儀太夫の財力で豪壮華麗で,オランダ商館長の江戸参府や帰国の折の休泊などにも利用された。長崎街道牛津本陣野田家の日誌には,「天保三年 壬辰 九月四日長崎上使御下り,この日の御通り 牧野長門守様……天保十二年 壬寅 九月十五日 少将様(佐賀藩主)長崎御越し,此度は始めて御供廻りまで皆馬上……嘉永六年 癸丑 十二月六日の晩 夜通し八頭(早馬)通り 七日の晩二頭 八日の昼四頭 都合十四頭人数過分なり,異国の舟は出舟して,又十二月始に来る。もとの四艘なり」などと記されている。参勤交代に際して大村・島原・平戸・五島の諸大名は当街道を利用し,平戸藩などは長崎勤番後に彼杵から江戸上りする場合もあった。参勤交代では長崎から小倉まで7泊8日を要していた。大名行列の人員は,飯塚宿の記録では,大村藩139人で16軒に分宿,佐賀藩330人で49軒に分宿となっている。オランダ商館長の江戸参府の行列人員は60人程で,寛政2年から年1回を5年に1回にかえて行われており,宿場では諸大名格の扱いを受けた。長崎街道を歩いての記録には吉田松陰の「西遊日記」,長久保赤水の「長崎行役日記」「長崎紀行」,司馬江漢の「西遊日記」,古河辰の「西遊雑記」,伊能忠敬の長崎街道測量と大村湾岸測量,吉田重房の「筑紫紀行」,橘南谿の「西遊記」などがある。当街道の県内の代表的関所は俵坂峠にある関所で,俵坂は古来より西肥交通における関門であった。現在佐賀県側に関所跡という停留所があり,「従是北佐嘉領」の石柱と記念碑がたっている。長崎市の江戸期の関門は日見峠の関所で「九州の箱根」にたとえられていた。大村藩の番所は鈴田の烽ノ尾峠にあり,付近が大村・佐賀藩の藩境であった。矢上には番所・番所川・番所橋があったが,これは矢上宿が島原方面と諫早方面への分かれ道だったからである。そのほかに彼杵・大村・竹松の宿場の入口には,道の両側に石垣で囲まれた構口があった。また当街道は松並木が植えられ,現在地名として二本松(鈴田・彼杵),一本松(千綿),六本松(矢上)などが残っている。特に鈴田の小松の松原は美しく,街道絵図に「小松の松原一里の称,七百余の松あり」と書いてある。大村扇状地の並松付近は昭和初期まで街道松が続いていた。長崎近くの矢上の松並木は,古河辰の「西遊雑記」に「古賀出立 矢上の駅へ二里,此みち左右並松茂く,よき道也」と書かれている。一里塚は彼杵宿の東にある二本松,彼杵~俵坂関所間の恵美須丸付近,千綿中学校付近の平原,松原宿北部の長浜付近,竹松西部漬物会社手前北側,鈴田二本松,鈴田小学校付近などにある(大村史話中)。彼杵付近にはシーボルトの「江戸参府紀行」で有名な大楠があり,付近は大楠街道と称せられ,大楠小学校や大楠神もある。道祖神は長崎街道では諫早農林センター背後に道祖元「サヤンゴゼ」があり,紗綾御前・塞御前とも書く。古賀の役の行者の脇や,永昌駅にもある。松原宿北部の裸島には鞘の御前と称する性神を祀り,男根を供えてある。武雄萩の尾公園前の長崎街道側に規模がかなり大きい塞の神を祀り,同じく男根を祀ってある。そのほか久山には街道脇に馬頭観音がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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