中通免
【なかどおりめん】

(近代)年不詳~現在の行政区名。明治22年鷹島村,昭和50年からは鷹島町のうち。壱岐(いき)水道に面した伊万里湾口に浮かぶ鷹島の中央部に位置し,平坦な高原状をなしている。江戸後期には,中通免・殿之浦免をあわせて中通村としている(役場古記録)。南部の殿浦は天然の良港で,平戸藩主の領内巡視の上陸地であることからその名があり,文永・弘安の役における元船の蒙古刀や唐壺と呼ばれる壺が多数付近の海底から引き上げられている。西側外海に面する海岸一帯は三代浦と呼ばれ,神功皇后以来の伝承をもつ憩石神社もあるが,中世以降近代初期まで物資の集散,漁業の基地としても利用されてきた(鷹島町郷土誌)。また三代浦東山手の宝ケ峰には鬼の岩屋と呼ばれる古墳群があるが,昭和49年全島の埋蔵文化財調査のとき発掘調査を行い,6世紀後半に編年される3基の古墳も判明した(鷹島埋蔵文化財調査報告書)。明治初年以降は役場・学校・農協・診療所・郵便局などの公共機関が集中する鷹島の中心地となっている。昭和40年の「農業センサス」による耕地利用状況は田255反余・普通畑436反・果樹園6反余・農家保有山林304反。世帯数・人口は,同年146・695(男325・女370),同50年175・700(男340・女360)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7221985 |