奈留島
【なるしま】

旧国名:肥前
五島列島のほぼ中央に位置し,奈留島と葛島・矢上ノ小島・前島・末津島など周辺に散在する島々からなる。東は滝河原瀬戸を隔てて若松島,西は奈留瀬戸を隔てて久賀島,南には椛島があり,北は東シナ海に面する。南東から北西に長く,全島に山岳が連なり,諸丘陵は重畳して東西に傾斜し,渓谷の中に傾斜畑が散在する。大きな河川はなく,船廻地区にわずかに平地がある。岬の突出が多く漁港に利用される。地名の由来は,奈は奴・那と同義で浦の古語(五島では浦をナと発音する),留は船の泊るところ,すなわち港である。奈も留も港で古来良港であったことから奈留の地名が生まれた。和銅6年畿内七道の諸国の郡郷名が整理された時以後奈留島と書かれるようになったという(郷土奈留)。ただし,平安期には那留浦・鳴浦,鎌倉期~室町期には奈留・奈留浦と書くことが多い。遣唐使船もたびたび寄港して船の修理や風待ちをし,承和9年入唐僧恵運,仁寿3年延暦寺僧円珍が立ち寄っている。航海安全のためであろう。「鳴神」はすでに貞観18年6月8日に従五位下を授けられている(三代実録)。その後,勘合貿易船も寄港し奈留神社に祈願している。また倭寇の根拠地でもあった。遣唐使の遺構として夏井の井戸・大林の井戸・海安寺の跡が残る。浦郷と大串郷には鎌倉期の石塔が残る。殊に,夏井の井戸は,大串郷夏井天満神社の海岸にある石積式の井戸で,波打際にありながら塩分がない良水で,郷民は現在も利用している。水量も豊富で年中涸れることはない。村人は遣唐船に水を積みこむ時に長い航海中腐敗を防ぐため煮沸してかめに移したと伝えられる。また,大林の井戸は,泊郷大林の海岸にあり,良水で水量豊富。鳴神社は以前鳴神鼻にあった。遣唐使は鳴神社に航海安全祈願をして近くの大林の井戸を利用した。地名からもわかるように大木が繁茂していたので船の修理も行った(五島通史)。
【奈留島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【奈留島村(近代)】 明治22年~昭和32年の南松浦郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222086 |





