西上町
【にしうわまち】

旧国名:肥前
(近世~近代)江戸期~昭和39年の町名。江戸期は長崎外町の1町。陸手(おかて)に属した。長崎港に注ぐ岩原川下流右岸に位置する。はじめ上町のうちであったが,寛文12年分離して成立した。享和2年の長崎絵図によれば,長崎の北西部に立地し,町並みは東西に延び,東は東上町と隣接していた。当地はキリスト教が盛んであった頃,サン・ジュアン教会(現本蓮寺境内)の門前にあたり,サン・ジュアンの町とも称されていたと伝えられる。寛文12年の町の長さ317間,実箇所数71余,諸役御免箇所3(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば,坪数3,728坪余,箇所数73,竈数122,戸数160・人数365(男179・女186)。乙名職は,延宝年間は黄四郎左衛門,宝永年間は椛島三郎右衛門,宝暦年間は三浦惣次平であったが,宝暦9年に宮佐左衛門が任じられて以来,甚五右衛門(天明年間),甚右衛門(文化年間),勝太郎(文化年間),卯門太(文政年間~天保5年),延平(天保6年~明治元年)と,宮家が相続した。明治11年長崎区,同22年長崎市に属す。大正期の「長崎市分割地図」によれば,地内には木炭店などがあった。昭和3年の戸数179,同10年の戸数179・人口854。大正2年岩原郷の一部を編入。昭和38年一部が大黒町・中町・筑後町となり,残余は同39年西坂町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222116 |





