野母崎町
【のもざきちょう】

(近代)昭和30年~現在の西彼杵(にしそのぎ)郡の自治体名。長崎半島(野母半島)南端に位置する。野母村・脇岬村・樺島村と高浜村の一部が合併して成立。野母村は大字野母,脇岬村は大字脇岬,樺島村は大字樺島となり,野母・脇岬・樺島の3大字と大字なしの地域がある。旧高浜村域には高浜・黒浜・以下宿・南越の行政区がある。世帯数・人口は,昭和35年3,172・1万3,878,同45年2,799・1万892,同55年2,999・1万553。昭和31年野母崎漁協が長崎市に新中川学生寮を開設,同33年新中川学生寮・東小島学生寮を町営とする(昭和51年廃止)。同37年野母商船が長崎~野母航路を廃止,同38年町内4中学を統合,野母崎中学校を創立,同39年「教育の町」建設宣言,同40年スクールボート「あおしお」進水,同年県立南高校野母崎分校(現県立野母崎高校)開校。同45年台風9号が上陸,住家の全壊17戸・半壊155戸のほか被災総額は4億5,000万円にのぼり,災害救助法が適用された。同47年自然休養村に指定された。同57年集中豪雨による長崎大水害に見舞われ,2億5,600万余円の被害を出した。同58年黒浜ダム竣工,同60年樺島へ水道送水開始,同61年樺島大橋落成。産業は漁業・農業・観光を3つの柱としており旧高浜村域は農業を,野母・脇岬・樺島は漁業を中心としている。農業はビワ・花卉・蔬菜などの特産化をめざしている。観光資源は豊富で長大な海岸線と温暖な気候を活用して南国ムードの清潔な観光地を目指している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222253 |