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波佐見往還
【はさみおうかん】


江戸期の街道名。東彼杵(ひがしそのぎ)郡波佐見町の中央部に位置する宿・舞相から四方に発する街道。川棚川上流・中流域に位置する。東は舞相より標高90mの仏坂を経て武雄方面に通じている。最も低い峠であったため,戦国期武雄勢(後藤貴明)の侵入を受けている。近くに長崎街道が通じており,また内海宿から中尾・三股に行く道もあった。北は舞相より岩峠を経て有田方面に通じており,有田焼と波佐見焼が密接な関係となった。南は川棚川の河谷が開け,川棚・大村湾・長崎方面に通じ,西には南北方向に低い山々があり平戸藩との藩境論争が絶えなかった。草住峠で佐世保・早岐方面と通じていた。宿は現在も江戸期の面影をとどめている。波佐見の現在のバス道路は江戸期の当往還とほとんど同じである。一里塚は舞相と南部の丸尾にあった。「大村郷村記」に「丸尾一里塚は道路左右に石塚あり,塚の上には松樹一株あり」とある。現に一本松の地名が残る。塚の側に井戸があり旅人の憩の場所であった。舞相の一里塚は町公民館の前庭にあった。舞相が町の中心にあり,嬉野・有田・佐世保・川棚方面に向かう交通の十字路である点は,今も昔も変わらない。当時波佐見往還には橋がなく,陣ノ川・船落し川・大日川・御堂川・横枕川を渡るには飛石渡りであった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222281