浜久須
【はまぐす】

旧国名:対馬
対馬の北部東海岸,舟志(しゆうし)湾の北に位置する。地名の由来は,「和名抄」に見える久須の遺称が2つに分かれ,西の山手にある本村を玖須あるいは田舎久須と呼び,東の海辺にある集落を浜久須といったという。入江の中に大石隈と称する岬があり,先端部の丘陵に古墳時代の墳墓(箱式石棺)群があり,昭和23年東亜考古学会の発掘調査から朝日山古墳と称した。出土品として,朝鮮半島からもたらされた陶質土器と,豊富な鉄製利器があげられる。古墳と接して神社があり,現在霹靂神社と号している。なお,「高麗入日記」文禄3年10月24日条に「浜楠」と見えることから(旧記雑録後編2),浜・田舎の冠称は以前から俗称としてあったにちがいない。
【浜久須村(近世)】 江戸期~明治41年の村名。
【浜久須(近代)】 明治41年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222343 |





