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本五島町
【ほんごとうまち】


旧国名:肥前

(近世~近代)織豊期~昭和10年の町名。江戸期は長崎内町の1町。船手に属した。長崎港に注ぐ岩原川河口左岸に位置する。享和2年の長崎絵図によれば,長崎の西北部に立地し,町並みは南北に延び,北は舟津町,南は椛島町に隣接していた。天正6年頃ルイス五島玄雅の一族で長崎に残留した150人余によって開かれたという。はじめ五島町と称していたが,天正13年頃当町の西側に浦五島町が成立すると本五島町に改称した。長崎総町中に本の字をつける町は全部で9か町あったが,当町と本興善町は「ほん」と発音し,ほかはすべて「もと」と発音した。明和4年当町も本興善町も他町同様に「もと」と発音するようにとの長崎奉行所の命令があったが,ついに命令は守られなかった。近世初期頃の当町の海岸はオランダ船や中国船の投錨地で,貿易商人の居宅や倉庫などが立ち並んでいた。寛文3年の町の長さ131間・家持39(寛宝日記),同12年の町の長さ127間,実箇所数37,諸役御免箇所3(県史対外交渉編),文化5年の長崎市中明細帳によれば坪数2,757坪余(地子銀免除),箇所数39,竈数107,戸数129・人数383(男183・女200)。乙名職は,明暦~寛文年間頃は疋田甚右衛門であったが,寛延年間頃には今井善蔵が勤め,以来,七良左衛門,茂三郎,政之助,善左衛門と今井氏が続いたが,万延元年からは竹下喜一郎が勤めた。明治11年長崎区,同22年長崎市に属す。大正期の「長崎市分割地図」によれば,地内には雑貨店・菓子商・廻漕店・質店・砂糖商などがあった。くんちの傘鉾の飾りは白菊と花すすきの中に虫籠を2つあしらったもので,秋景を表わした傘鉾の代表的なものである。昭和3年の戸数74。同10年五島町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222815