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御厨筋街道
【みくりやすじかいどう】


江戸期の街道名。平戸(現平戸市)から伊万里(現佐賀県伊万里市)方面に至る街道。現在の平戸口~伊万里間の国鉄松浦線や国道204号とほぼ並行するが,街道は志佐~今福間にみられるようにやや山地側を通っている。平戸城下を発し平戸海峡を渡ると渡頭集落の日ノ浦があり,同地には本陣・駅所・馬子町・刑場があった。また一関で佐世保方面に向かう平戸往還が分かれ,御厨―志佐―調川―今福を経て,佐賀藩境鷹峰に番所が設置されていた。御厨筋街道絵図には松並木が記される。一里塚は小崎・大崎狩平免・西山丸田坂・江口堺・今福川岸にあり,ムク・エノキを植えた。本陣は志佐にあった。建物の間取り・見取り図は平戸松浦史料館に現存する。札場は御厨・志佐陣ノ内・調川庄屋・今福楠籠の今福押役所にあり,伊万里東山代長浜には平戸藩参勤交代の道標があった。駕籠立場は小崎峠・大崎村古木辻・北平免・西山鹿爪峠・長谷・平尾にあった。志佐里には駅馬が置かれ,馬立場・馬子町があった。伊能忠敬は文化10年2月18日より23日まで日ノ浦から御厨筋街道や海岸線を2隊に分かれて測量し,2月23日には佐賀領・平戸領の藩境鷹峰の番所に達している。宿泊所は,釜田浦(篠塚庄右衛門),御厨(谷川七左衛門),志佐(大石万九郎),今福(庄屋豊永八右衛門・酒屋町田才兵衛)などの各家々であった(測量日誌)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222972