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眼鏡橋
【めがねばし】


長崎市,中島川に架かる橋。魚市橋の下流90mと袋橋の上流80mの所に位置する。古川町・諏訪町と栄町・魚の町の間を結び,市道が通る。橋長23.0m,幅員4.7m,径間8.3m,拱矢4.4m,拱環厚59cm。半円2連の眼鏡形アーチ石橋。昭和35年2月9日,国重文に指定。中島川石橋群の1つで,初めは上流からの通し番号で眼鏡橋を第10橋と呼んだが,明治15年に固有の名称を付けた。眼鏡橋はそれまで木橋だったのを,興福寺第2代住職の唐僧如定(によじよう)が,一般の喜捨を集めて寛永11年に石橋を架けたと伝えられる。このアーチ石橋は,江戸期唯一の開港地だった長崎に集まる人々の目を奪い,これより40年遅れて三池藩が大牟田に早鐘眼鏡橋を架け,その後,熊本・大分・鹿児島など九州各地にアーチ石橋が広まった。眼鏡橋はわが国石橋文化の発祥のもととなる。長崎に20橋も架けられた石橋群のうち,この橋だけが2連の眼鏡形で,他の石橋は一径間の太鼓橋である。眼鏡橋の壁石は細長い石を平行に積んであるが,これが県内にある石橋の特徴で,これを長崎式と呼ぶ。また高欄の飾石や橋面石張りも長崎の特徴で,オランダ坂を始め坂道の石張りに合わせて,石橋の上も石張りで覆っている。眼鏡橋は正保4年の洪水で大破したので,翌慶安元年に大修理を行った。この慶安元年が眼鏡橋の創設という説もある。昭和57年7月の大洪水で大破し,同58年9月に修理を完了した。中島川に並行して近くに寺町通りがあり,眼鏡橋を渡った先には浩台寺を中に有名な崇福寺(俗称赤寺とか支那寺と呼ぶ)や興福寺が並ぶので,人々がお寺に参詣しやすいよう架けたとの言伝えもある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7223134