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茂木街道
【もぎかいどう】


江戸期の街道名。長崎から茂木に至る街道。茂木から島原や天草へと船出した。茂木は江戸初期は島原領であったが,寛永18年天草が幕府領となると天草を結ぶ茂木の役割は重要なものとなり,寛文8年には茂木も幕府領とされた。さらに,明和5年茂木が長崎代官支配,幕末期天草が長崎代官支配となると,茂木の役割はいっそう重要なものとなった。茂木口は長崎における六か所口の1つであった。茂木までの道順は正覚寺の下から高島秋帆旧宅(国史跡)・八剣神社を経て,田上の峠への急坂にかかる。この急坂はピントコ坂と呼ばれ,中国人何旻徳と遊女お登倭の悲恋話がある。また,この坂の途中には痘瘡で亡くなった人達を祀る茂木道無縁塔(正徳3年建立,市文化財)をはじめ供養塔や地蔵菩薩などが多数祀られている。田上には黄檗宗観音寺や浄土宗田上寺などがあり,特に田上寺は茂木巡見の際に長崎奉行や上使などの休息所にしばしば利用された。田上から転石―柳山―辻を経て茂木に達する道が江戸期の茂木街道で,明和6年江波市左衛門によって温石の石畳が敷かれ,安政5年長崎の商人武内億助・蒲池喜兵衛の両名によって柳山石橋が架けられ,旅人の利用の便がはかられた。しかし,この道は勾配が急で,荷馬車や人力車の交通には不便であったので,明治18年長崎の油屋町から高平町―田上―転石―大川橋―片町を経て,茂木へ達する新道(旧県道)が造られた。さらに,昭和9年従来の交通難解消のため新県道(現国道324号)が建設され,長崎~茂木間は一段と便利なものとなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7223141