茂里町
【もりまち】

(近代)大正2年~現在の長崎市の町名。もとは長崎市馬込郷・里郷の各一部。町名はこの地が館内町の森家の地所であったことにちなみ,茂里と縁起の良い2文字をあてた。付近一帯は,江戸期は蓮の名所として知られた。大正2年の戸数約120。大正期の「長崎市分割地図」によれば,地内に長崎電気軌道・大正興業信託・長崎物産や印刷業・運送業などがあった。昭和3年の戸数160,同10年の戸数167・人口775。同39年一部が緑町・目覚町・川口町・宝町・幸町となり,岩川町・浜口町の各一部を編入。同50年の世帯数53,4街区。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7223186 |