安楽寺①
【あんらくじ】

旧国名:肥後
上村(かむら)ともいう。菊池川の支流木葉川下流域に位置する。律令時代の官道が菊水町江田から当地を抜けて,隣接する玉東町稲佐に通じていたと考えられ,正暦3年玉名荘が大宰府の安楽寺天満宮に寄進されると,交通上の重要性に着目されてか,当地に安楽寺が建立され,それが地名となった。「肥後国誌」には山北郷と肩書してあり,中世末には山北郷に属したか。また,周辺の水田には条里制が施行され,その遺構とともに,唐ノ坪・十五(以上下村)・三十六(上村)の字名が残る(熊本県の条里)。
【安楽寺(中世)】 南北朝期から見える地名。
【安楽寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【安楽寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7223577 |





