五木
【いつき】

旧国名:肥後
九州山地南部,球磨(くま)川支流川辺川上流の山間部に位置する。地名に関しては,5つの館によって統治されたことから五城とする説,上流から御器(ごき)が流れてきたため転じて五木としたとする説,平家の落人が住みついたため居付と称したとする説などがあるが,未詳。頭地遺跡からは縄文中期の土器片と磨製石斧・打製石斧・石
・石鏃などが出土し,小鶴遺跡からも磨製石斧が発見されている。伝承によれば,源平合戦で壇ノ浦に敗れた平氏が当地に隠棲し,追討のために入山した源氏の一族もともに住みつき,はじめは武将17人・従者135人が居住したと伝え,関東武士の姓という土屋・土肥・椎葉・那須を名乗る者が多い。
【五木之村(中世)】 鎌倉期に見える村名。
【五木谷(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【五木村(近代)】 明治22年~現在の球磨郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7223705 |





