上古閑村
【うえこがむら】

旧国名:肥後
(近世)江戸期~明治9年の村名。合志(こうし)郡のうち。熊本平野北部,合志台地の北部に位置する。古閑は出村の意ももつことから,村名は,御領村の上手に同村からの出村で成立したことによるかと思われる。熊本藩領。村高は「旧高旧領」326石余。寛永10年の人畜改帳では,高135石余,家数43,人数は男19・女13,牛6・馬9。「肥後国誌」によれば竹迫(たかば)手永に属し,高318石余,観音堂と地蔵堂が記される。なお宝永年間頃には,有吉清九郎・中瀬助之・平川伊左衛門の知行地があった。当村一帯は,芋・野大根・真胡麻油の産地として知られる。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同9年福原村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7223836 |





