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江田船山古墳
【えたふなやまこふん】


玉名郡菊水町江田字清原(せいばる)に所在する古墳時代中期(5世紀後半~6世紀初頭)の古墳。国史跡。菊池川左岸,標高約30mの清原台地に立地する清原古墳群を代表する古墳。清原古墳群には虚空蔵塚古墳・塚坊主古墳などがある。明治6年1月発掘され,多数の遺物は同年5月博覧会事務局(現東京国立博物館)が80円で買い上げたため散逸を免れ,昭和40年に一括して国宝に指定された。発見以来,遺構・遺物とも学界の注目を集め,大正7・11年に梅原末治が紹介した報告書は考古学上はじめての具体的な調査として重要。前方後円墳で,前方部の幅23m,高さ約5.5m,後円部の直径26m,高さ約7.5mとされていたが,昭和50・60年の周溝調査の結果,墳長62m,前方部の長さ25m,最大幅40m,後円部直径41mで,くびれ部近くの前方部両側に台形状の造出しが確認された。墳丘は三段築成で,高さは前方部が7.5m,後円部は10m弱と推定される。周溝は前方部・後円部とも幅7.5m,くびれ部は13m弱を測り,外側の平面形は盾形,深さは約3~5mであることが判明。周溝から発見された遺物には,墳丘から転落した円筒埴輪・朝顔形埴輪および蓋形・家形・馬形と考えられる埴輪の破片や須恵器の高坏・・大甕などがある。主体部は,後円部に入口を西に向けて埋納された阿蘇溶結凝灰岩製の横口式家形石棺で,石棺入口の前方の両側には板石が立てられ,羨道状の構造をもつ。出土品には中国・朝鮮系の遺物を多く含む。鏡は同笵鏡の分有関係が認められる神人車馬画像鏡と画文帯神獣鏡をはじめ武寧王陵出土のものと類似する獣帯鏡・変形四獣鏡がある。また,出土例としてはまれな装身具一式がそろい,広帯式金銅製冠・狭帯式金銅製冠・金銅製透彫冠帽・金製垂飾付耳飾・金銅製帯金具・金銅製飾履・硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス製小玉がある。武器・武具には「治天下□□□大王世」以下全75文字の銘をもつ銀象嵌大刀のほか,竜文素環頭大刀・素環頭大刀・鉄刀・剣・鉾・鉄鏃,横矧板鋲留衝角付の冑・短甲,横矧板革綴短甲・頸甲がある。馬具は竜文を飾った鈴付の鉄地金銅張鏡板付轡,三連の衝をもつ鉄製素環鏡板付轡のほか,鉄製輪鐙・三環鈴,須恵器には提瓶と百済系土器との類似が注目される蓋坏がある。古墳の南西約100mにある虚空蔵塚古墳,南約250mにある塚坊主古墳はともに江田船山古墳に後続する時期(6世紀前半)に造られた古墳と考えられる。虚空蔵塚古墳は直径約32m,高さ約7mで幅約7.5mの周溝をもつ円墳状を呈するが,西側に幅広い陸橋をもち,その両側の周溝がいくぶん前方に延びていることから,墳長約44.5mの帆立貝式の前方後円墳とする見解もある。周溝から円筒埴輪と人物埴輪などの破片が発見されたが,主体部は不明。塚坊主古墳は墳長約44m,前方部の長さ約14m・最大幅約21m,後円部直径約30mを測る前方後円墳で,幅約5mの周溝をもつが,墳丘の現況は著しく変形している。主体部は割石小口積の横穴式石室で,玄室の奥に家形石棺を平入りに安置し,石棺の内壁には赤の連続三角文が描かれている。出土遺物は,石室内から鉄鉾・鉄地金銅張f字形鏡板付轡・鉄製素環鏡板付轡・木心鉄板張輪鐙破片・青銅鈴・尾錠・環状金具・須恵器器台破片,周溝から円筒埴輪・人物埴輪・鳥形埴輪などの破片が発見された。文献は梅原末治「江田船山古墳」(熊本県史蹟名勝天然記念物調査報告1 大正11年),同「玉名郡江田船山古墳調査報告」(熊本県史蹟名勝天然記念物調査報告1 大正11年),菊水町教育委員会「船山」(昭和51年),緒方勉「清原古墳群及び岩原古墳群の周溝確認調査」(熊本県文化財調査報告55 昭和57年),同「江田船山古墳」(熊本県文化財調査報告83 昭和61年)がある。




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「角川日本地名大辞典」
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