上千田村
【かみちだむら】

旧国名:肥後
(近世)江戸期~明治8年の村名。はじめ玉名郡,明治3年からは山鹿郡のうち。千田川中流左岸に位置する。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」「正保郷帳」「天保郷帳」では千田村のうちに含まれ,「旧高旧領」で716石余。「肥後国誌」では,中富手永中に千田村が2か村あり,うち1か村に「里俗上千田村ト云」と見え,高750石余。また文化11年の中富手永手鑑(肥後藩の経済構造)では,家数52・人数226,馬44とあり,医師1・質屋1も見える。氏神は宮村聖母八幡宮。ほかに天満宮がある。毎年7月25日には,男の子たちが千田川から石を拾って同宮に奉納してすこやかな成長を祈願するバサランダ祭りが行われる。なお同宮の境内一帯には土師器破片が散布する。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同8年千田村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7224528 |





