川尻
【かわしり】

旧国名:肥後
熊本平野南西部,加勢川と天明新川の間に位置する。地名に関しては,古くは白川が当地付近で緑川と合流しており,その下流に位置したことにちなむものと思われ,河口の港として開けたと考えられる。字外城の城跡は鎌倉期の武士団河尻氏の古城跡と伝えられるが,河尻本城の外城と推定されている。字外城の明善寺には文明14年銘の宝篋印塔残欠および天文15年銘の弥陀三尊来迎板碑がある。また船頭町の御材木方地蔵堂には享禄5年銘の板碑,横町の天満宮には天文19年銘の板碑があり,横町法宣寺の応永3年作と伝える六地蔵石幢は明応年間のものと推定されている。
【河尻郷(中世)】 鎌倉期に見える郷名。
【河尻荘(中世)】 南北朝期~戦国期に見える荘園名。
【河尻町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【川尻町(近代)】 明治22年~昭和15年の自治体名。
【川尻町(近代)】 昭和15年~現在の熊本市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7224660 |





