北小野
【きたおの】

旧国名:肥後
八代(やつしろ)平野北部,山王山西麓に位置する。八の坪などの字名が残ることから条里制が敷かれたとも考えられるが未詳。そのほか,九万谷・年の神・大坪・袋丸などの地名も残る。このうち九万谷については「肥後国誌」に「当村北ノ山下ニ少シ谷アル処ヲ云フ,何レノ年号カ,合戦ニヤ谷ノ口ヨリ内ニテ終日上下シケルヲ,寄手之ヲ見テアナ夥シ九万人ハト怖レテ引取シ云々」とある。昭和33年年の神古墳が発見され,横穴式石室とともに20体近い人骨が出土,家族墓と思われる。銅環・須恵器なども出土し,7世紀中期のものと推定されている。古墳が多く,1号・2号古墳が発見されているほか西方・丸山と呼ばれる円丘も古墳と考えられるが未掘。鎌倉期の小野荘館跡と推定される屋敷跡も発見された。懐良親王に関する口碑も多い。
【北小野村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北小野(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7224771 |





