100辞書・辞典一括検索

JLogos

16

京町本丁
【きょうまちほんちょう】


(近代)明治12年~現在の町名。はじめ熊本区,明治22年からは熊本市の町名。もとは熊本城下柳川小路・宇土小路など京町の武家地。京町本丁と通称された武家地内の町屋も含んだ。京町台地と称される標高30~40mの台地上に位置し,東と西は崖地となっている。通路は東に瀬戸坂(迫門坂)と明治24年に開かれた新坂,西に新坂と赤尾口新道がある。旧城下の北端にあたり,寛永16年北境として堀と土手が築かれ,出町口の番所が置かれた。堀と土手は明治期まで残っていたが,明治45年豊前街道西側が師範学校敷地として埋め立てられ,東側の堀だけが現在も児童公園として残る。中央本通りの東側はほとんど住宅地のままであるが,西側は大部分が旧第一師範学校および県立商業学校から引き継がれた学校用地と,熊本大林区署(熊本営林局)の用地になっている。大正4年の戸数187・人口1,403。昭和44年出町・池田町の各一部を編入。世帯数・人口は,昭和40年481・1,782,同50年488・1,466。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7224879