見性寺
【けんしょうじ】

熊本市坪井4丁目にある寺。臨済宗妙心寺派。山号は雲祥山。本尊は釈迦三尊。米田監物是季が亡父見性院殿(助右衛門是正または是政)追善のため建立した寺で,米田家歴代の菩提所。開山は三級和尚といい,彼は天和3年7月に示寂している。寺地の3反余は年貢免許地とされた(肥後国誌)。米田是正は大和国で生まれ,父求政とともに細川家に仕え数々の戦場で武勇を顕したが,慶長5年岐阜城攻撃の際に戦死した。当寺の開基となる是季は,父の死後細川家一族の長岡姓と忠興の一字を授けられ,長岡監物興季と名乗った。慶長12年細川家を退去し,大坂両度の役に大坂方に味方したが,戦後の元和元年細川家に帰参した。6,500石を与えられ,寛永元年家老となり,熊本藩三家老家の1つとなる。同12年1万石に加増。「熊本区誌」では,見性寺の創建を正保2年とする。また明治14年の計測では,東西29間3尺・南北2間4尺,面積2反9畝7歩。梵鐘は第2次大戦中の金属供出で失われ,戦後の新鋳。墓地には初代求政・2代是正・3代是季の3墓碑が霊屋に安置され,4代以降は大型の五輪塔で,周囲に一族の墓が並ぶ。山門の東正面に本堂・庫裏があり,南側が墓地で,墓地入口には幕末の実学派の中心人物で熊本藩家老の長岡(米田)監物是容の大頌徳碑がたつ。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225061 |