古保里
【こおざと】

旧国名:肥後
熊本平野南部,花園山西南部の北へ突き出た舌状低台地に位置する。地名は,郡衙の遺称と考えられ,宇土(うと)郡衙が当地付近にあったといわれる。縄文後期の古保里貝塚があるほか,弥生中期の甕棺や古墳後期の石棺群などが出土する。台地北側に五ノ坪,南側の地辺に三十六の坪名が残り,条里遺称と考えられる。また文永年間頃には,古保里越前守が古保里荘の地頭として花園山に居城を構えたと伝える。県下最古という応永28年銘の六地蔵があり(宇土市文化財集),宇土巡礼三十三か所第12番札所の観音堂もある。
【古保里荘(中世)】 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。
【古保里村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【古保里(近代)】 明治22年~昭和41年の大字名。
【古保里町(近代)】 昭和41年~現在の宇土市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225149 |





