高瀬
【たかせ】

旧国名:肥後
菊池川と繁根木(はねぎ)川の合流点付近に位置し,両川に挟まれる。小高い保田木台があり,縄文後期の保田木貝塚がある。同地はその名のとおり火焚き神事や雨乞があった霊地と考えられ,保田木神社には奈良期の和銅6年筑後守に任じられ,次いで肥後守を兼任し,当地の開発に尽力したという国司道君首名を祀る。高瀬は港町として発展したが,その淵源は「和名抄」の石津郷と考えられ,「津」とあることから,石貫川が菊池川に合流する地点のすぐ北東の河崎あたりにあった港と思われる。真言宗宝成就寺は延喜4年の創建と伝えるが,これは背後に郡司日置氏の勢力を推測させる。やがて菊池氏の勢力が南下し,安楽寺領玉名荘を中心に勢力を浸透させ,承和元年津留・河崎に天満宮を移転,建立している。高瀬の河原から12,3世紀以降の青磁が大量に発見されており(県立美術館 中国陶磁の美),貿易港としての高瀬津の繁栄がうかがわれる。
【高瀬(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【高瀬町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【高瀬町(近代)】 明治22年~昭和17年の玉名郡の自治体名。
【高瀬(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7226143 |





