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塚原古墳群
【つかわらこふんぐん】


下益城(しもましき)郡城南町塚原に所在する古墳時代前期~後期(4世紀~7世紀初頭)の古墳群。中心部は国史跡。緑川の支流,浜戸川左岸に突出した塚原台地の先端部に立地する。古墳群の存在については,「肥後国誌」に「九十九塚 塚原ノ地名依之」と見える。昭和47年九州自動車道建設に先立つ発掘調査により,一躍注目を集めた。調査は幅約60m,長さ約500mの自動車道敷地で行われ,方形周溝墓・前方後円墳・大型円墳・小円墳・箱式石棺・石蓋土壙など,計116基の墳墓が発見された。特に方形周溝墓は47基にのぼり,4世紀後半に出現し5世紀中頃までほぼ切れ目なく築造された。当初,内部主体は組合せ式の木棺墓であったが,5世紀頃になると凝灰岩切石を用いた箱式石棺や横口式の家形石棺へと変化する。大小の円墳も方形周溝墓にわずかに遅れて出現するが,内部主体は初期のものでは小型の竪穴式石室や安山岩板石を用いた箱式石棺などが見られ,のちには凝灰岩切石を用いた箱式石棺や横穴式石室も出現する。前方後円墳は3基あったとされるが,現在は2基が残る。従来当古墳群の主墳とされてきた琵琶塚古墳の築造時期は5世紀後半と推定されるが,内部主体については不明。当古墳群は4世紀後半~7世紀はじめまで延々と営まれたこの地方屈指の古墳群で,7世紀以降は台地の南西部に隣接する横穴墓群へと移行する。なお昭和53~55年に,台地の基部にあたる丘陵一帯で圃場整備事業に伴う上の原遺跡の発掘調査が行われ,4世紀後半~7世紀後半を中心とする竪穴住居跡が475軒検出された。大半の住居跡は4~5世紀のもので,当古墳群に直接的につながる集落跡とみられ,同時代の墓地と集落との実態を知るうえで,きわめて重要な発見となった。全国的な保存運動によって工事はトンネル工法に変更され,決定的な遺跡の破壊は回避された。文献に県教育委員会「塚原」(熊本県文化財調査報告16 昭和50年)がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7226441